2019年に日本でもヒットしたアメコミ原作のスリラー『ジョーカー』の続編で、世の中の生きづらい弱男が感化されて事件を起こしちゃったりなど、主人公アーサーの危険思想に対しても批判が上がったりした一作の続編ってことで結構期待されていたらしい続編だったようです。
蓋を開けてみたら凄まじい大コケ、良くも悪くも「これのどこが『ジョーカー』やねん」と思ってしまう内容になっており、どちらかというと前作で社会に揉まれてネジが外れてしまった“アーサー・フレック”の原罪の話になっています。ワタクシも前作よりは乗れなかったですが、思ってたより楽しめました。
【ちょっとだけネタバレあり】
お話
理不尽な世の中で社会への反逆者、民衆の代弁者として祭り上げられたジョーカー。そんな彼の前にリーという謎めいた女性が現れる。ジョーカーの狂気はリーへ、そして群衆へと伝播し、拡散していく。孤独で心優しかった男が悪のカリスマとなって暴走し、世界を巻き込む新たな事件が起こる。
さらにヤバいヤツになった「アーサー」
話としては、前作『ジョーカー』にてお茶の間の人気者マレー(デ・ニーロ)など複数の殺人罪で服役し失意の底に居る“ジョーカー”ことアーサー・フレックが、レディ・ガガ演じる“リー”という女性と出会ったことで“ジョーカー”としての自分の価値を再度見出して…ってなのがザックリの流れです。
アーサーは数年に渡る刑務所生活の孤独に加えて、「外の世界では“ジョーカー”が神格化されている」という事実を知っているので無敵の男感が増してしまっており、前作では現実と曖昧だった妄想癖も今回はミュージカル化してしまっています。要は痛さがさらに悪化してるってワケですね。
「愛するジョーカー」
“ジョーカー”を演じたことでオスカーを獲得したホアキン・フェニックスの役作りも完璧で、心配になるくらいのガリガリぶり。レディ・ガガ演じるリーの立ち位置も見事で、リーが愛したのはあくまで“社会を先導する偉大なジョーカー”であってアーサー自身ではない、という割と複雑な恋愛感情なのが見事でした。
つまりアーサーが演じていた“ジョーカー”があまりにも存在が巨大化し、アーサー自身の分身であるはずなのに手に負えない状態になってしまうワケで、元々はただの貧乏弱男でしかない弱いアーサーはもう一人の「強い自分ジョーカー」を演じることが困難にベースはまうんですね。この構図がミュージカルで表現されているのですが、いかんせんあまりにも分かりづらいので、ブラックジョーク映画としてもそんなに質が良いとは言えないのが残念なところ。
唯一の理解者、元親友のゲイリー
ただ、個人的にはアーサーの唯一の親友とも言える小人のゲイリーが裁判の証人喚問に登壇し、裁判所でイキり散らすアーサーに涙ながらに「あの優しいアーサーはどこに行ったんだよ!」と叫んでシクシクと壇上から去る場面はなかなかグッときました。いくら元親友とはいえ、アーサーが無理をしている事実がありありと分かりつつ、それが伝わらないもどかしさ。本当に悲しい場面でとても胸にくるモノがありました。
言いたいことは分かるけど回りくどい
そんなワケで個人的には駄作には感じなかったんですが、前作『ジョーカー』を観ていないと何ら話が分からないという、随分不親切な内容になっている気がするので、この点もちょっと懸念点な気がします。ただ、前作の“ジョーカー”という存在を世間に勘違いされたスタッフ陣の怒りもやや感じる部分もあり、そういう意味ではかなり骨のある映画だと思うので、少なくとも観る価値がある映画だとワタクシは思いました。