“原爆の父”であるオッペンハイマー博士についての伝記映画となり、広島と長崎に投下された原子爆弾の製作過程が描かれるということもあり、日本人としてはとりわけセンシティブな内容を取り上げた作品で、日本公開日の一昨日からは国際問題一丁噛みみたいなネットユーザーたちも熱を上げている“問題作”。
遡れば日本でユニバーサル映画の配給をしている東宝東和の公式サイトに公開予定が載っていたものの、数日で名前が削除された後、『バービー』のスタッフの悪ノリで発生した“バーベンバイマー騒動”で主にXが大炎上。こんなこともあり「この映画もしかして日本で公開されないんじゃないか」ってくらい燃え切った本作でしたが、全世界公開から遅れること8カ月余り、ようやく公開となりました。
【ネタバレ若干あり】
お話
第2次世界大戦中、才能にあふれた物理学者のロバート・オッペンハイマーは、核開発を急ぐ米政府のマンハッタン計画において、原爆開発プロジェクトの委員長に任命される。しかし、実験で原爆の威力を目の当たりにし、さらにはそれが実戦で投下され、恐るべき大量破壊兵器を生み出したことに衝撃を受けたオッペンハイマーは、戦後、さらなる威力をもった水素爆弾の開発に反対するようになるが……。
「原爆」についての映画ではない
本作の感想を書くに当たってワタクシ的に書いておきたいのが、本作で扱っている内容は“原子爆弾”そのものではなく、“畏怖すべき原子爆弾をこの世に誕生させてしまった科学者”のJ・ロバート・オッペンハイマーの贖罪の話という点です。北米公開当時から現在まで日本のネット上で言及されている「広島や長崎への被害シーンがない」という批判は少しピントがズレているな、ってのが率直な本音で、むしろ国家間の「核抑止」において、お互いに大量破壊兵器で対峙する国に力を誇示し、国同士でその力で牽制しあって戦争を抑えるっていう、「それのどこが抑止やねん」的な現在の世界情勢を、そんな世界になる原因を作ってしまったオッペンハイマーの目線を通して皮肉った映画ってのが本作の本質だと思います。
要は広島や長崎の原爆投下以前に、人類初の核実験であるマンハッタン計画の時点で間違いと言ってる話なワケで、北米版ポスターのキャッチコピー「The world forever change」の通り、取り返しがつかない「成功」をしてしまった科学者の苦悩が軸なのです。内容的にもオッペンハイマーは「核開発を自ら先導した」とも「軍に無理やり作らされた」とも両面で解釈出来ることもあり、そもそも利己的な行動しかしないオッペンハイマーに共感することはまず不可能。この両面的な目線は、ノーラン監督の代表作『ダークナイト』にも通ずる「正義と悪はコインの表裏でしかない」的なテーマだろうと思いました。ワタクシ含め日本人からしてみたら、オッペンハイマーは原爆を落とした敵側ですし、その点もちゃんと配慮されている構成が上手い映画でした。
C・ノーランの集大成
前置きは長くなりましたが、ノーラン監督お得意の時系列シャッフル構成が全編で貫かれているので、実質3時間の尺の割に話の展開が早いです。
ただ1人の歪んだ正義感が世界を変えてしまったという、クリストファー・ノーラン史上最もスケールのデカいストーリーにもなっており、オッペンハイマーに対する描写もどこか冷笑的ですらあります。文明の発展は戦争から、と言われることがありますが、まさにそんな内容なワケなんですね。
反核兵器のメッセージ
原爆使用が肯定的に描いた映画かと言うと、本作に至ってはむしろその点は批判的で、特に広島や長崎に原爆を落とすことを決定する会議の場面は、「正気かコイツら…?」と思ってしまうくらい哀れな人間たちの話し合いとして描かれています。
オッペンハイマー自身も原子爆弾の開発を止められる立ち位置に居たものの、「この装置が戦争を終結させる」と信じて止まず、悪魔に魂を売った人間となってしまいます。その上で、中盤でオッペンハイマーの盟友イジドール・ラビが言う「物理学300年の歴史の成果が大量破壊兵器だなんて」というセリフはかなり強烈。
オッペンハイマー(天才)とストローズ(凡人)
戦後にオッペンハイマーと対峙するルイス・ストローズは、オッペンハイマーに対して強烈な嫉妬心に満ちた人間に描かれており、他人への共感性が著しく欠けているオッペンハイマーに翻弄された人物でもあります。ここら辺は『アマデウス』を思い起こさせる対比がされており、どうやっても理解しあえない人たちっているよね、と思うくらい生々しいドラマになっています。
ノーラン史上最も政治的で、且つ残酷な映画
クリストファー・ノーラン史上最もポリティカルで、骨太なメッセージ性に溢れた傑作でした。天才の脳内を描写するという、常人には思いつかない内容にしてしまったノーラン自身の鬼才ぶりが色濃く出た一作です。唯一欠点として敢えて言うと、何度も観た方が良い内容ながら辛くて鑑賞を躊躇してしまう点で、ノーラン映画としては最も残酷性の高い映画なのは間違いないです。